結果

                   一

 例えば君が傷ついて、くじけそうになった時は、必ず僕が側に居て、支えて挙げるよその肩を。世界中の優しさで、この地球は回っている。今世界の扉を開ける時、愛しさや切なさが、胸に抱いた思いをいつも大切にしている。

 信じる事をやめたら、信じない人の世界に生きる事になるし、そう長くはない人生の中で、自分の価値を信じる事ができなくて、他人と比較して劣等感に苛まれて、苦しくて、弱くて、情けなさと差別的感情に自己嫌悪して、人を酷な目で評価して、資本主義の論理で人情のない世界ではあるかもしれないけど、袂を分かつことになっても、共に働いた時間は永遠だから、思いを持ち続ける事が永遠だから。

 君は何とも僕の事を思ってくれていなかったとしても、惚れてしまった事実を自分だけ持ち続けてもいいけど、思いを伝える事が上手じゃなくて、結局は自己完結して空回りして、いつしか喪失感を持ち続けた人生になり、次第に側には誰も居なくなり孤立するだろう。 

 社会に貢献する中で、信頼関係が築かれる中で、責任を果たし共有し、共に時間を過ごしたかった。存在するためには代償を払わなければならないということを学べて良かったのではないかと今では考えるようになりました。

 信頼を得るためには、努力をして実績を挙げる事が最善の近道だってことで、遠回りが近道であること、即時的なものなんて自己欺瞞に近い過ごし方と同じで、自己と対峙せず、性の苦しみの意味と価値を考える事が今まで一度も無かった。

 自分のことで頭が精一杯だったんだ。どうして立場を相手の身になって考える事が出来なかったのかと思うと、今は甚だあきれるばかりです。迷惑ものは孤独で居ればいい。貢献できない人間は引き下がって家に居ればいい。相手だって職場に通い続けるんだ。人生があるんだ。引く手数多なんだ。努力して相手のことを思って生きていくことが出来る人間がどれほどこの都会の中でいるのか。社会で活躍している人は他人の幸せに向かい合って居るに違いないし、利用と搾取は不信の賜物だからそんなものに溺れる奴は死ねばいい。

 僕は愛を語る事なんて出来やしないしそっとしておきなさい。迷惑をかけてはいけません。人権を侵害しているのですから。正直、遠く離れる事ができて緊張感が解れています。いつ迷惑をかける行動に出るのか。思いを伝える事なんて他人から見れば迷惑極まりないし、無情で糞だよ。だけど事業に前向きに取り組み、売って売って結果を残すしかないし、真面目に社会と向き合う中で、愛する人と自然に思いを通わせ、縁を残す。

 女性が感じている性の苦しみ、お産の苦しみを、産婦人科の近くで育ちながら全く思う事も無く、性格の有り様は劣悪。当然ながら認められる事なんてあるはずがない。君は途絶えるしかない運命なんだ。悲観的にならなくとも、一から、いや零から自分が社会に与えられることを考え、日々実践して生きる他にないのである。

 信じる事をやめて精神が堕落して、道筋を立てて生きる事ができなくなった人間の末路がそこにはある。そして意味の無い事に熱中する。希望を持つ以前に当然倫理観と礼儀の問題で、犯罪者扱いされても当然である。瞬時の快楽を求め、苦しみの無い、無責任に搾取するクズでしかない。